算命学の歴史
日本のいわゆる算命を学んだ人達は、自分達の術の系統について以下のように自称している。
算命学の発祥は、中国春秋戦国時代の鬼谷子に始まるとされている。 それは、それまであった陰陽五行思想および、運命予測の技術をまとめた人とされるからである。
但し、鬼谷子は、歴史学上は想像上の人物とするのが多数説であり、その実在性を疑問視する向きもある。
鬼谷子については、史記列伝の蘇秦列伝 第九の冒頭に「東へ行って斉の国に師匠を求め、鬼谷先生について学問を習った。」とあり、揣摩の術を完成した。とある。また、史記列伝の張儀列伝 第十の冒頭に「張儀というのは、魏の人である。その始め蘇秦といっしょに鬼谷先生の門人として学問したことがあった・・・」とある。
蘇秦と張儀は、戦国時代の縦横家であり、張儀は秦の宰相となり、蘇秦は六国合従の宰相となった人である。蘇秦が完成したとされる揣摩の術は、人を意のままに操る神秘的術で、この揣摩の術が算命学の別名とされていたとする説もある[要出典]。
揣摩の術、算命学は、中国大陸を統一した秦の始皇帝が権力を握ると、秦王朝内部だけの秘伝とし、宮廷の外には一切出さないようになった[要出典]。
こうして算命学は、王朝お抱えの占い師達によってのみ命脈を保たれる一子相伝の運命学となったのである。そして、国が亡んでも次の王朝に受け継がれていく運命をたどったのである[要出典]。